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電子書籍 " Xperia "

雑記
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写真生活は、赤線プリントに戻っている。
けど、紙焼きを、スキャンする気にはなれないので、このサイトも、ほぼ放置状態。
それでも、気にして、覗きに来てくださる方々に、感謝しています。

さて、今月は、iPadばかり使っている。

モバイルWi-Fiの環境は整えていないので、外出先では一部のアプリケーションしか使えないが、仕事はテキストが中心なので、困ることは少ない。

それでも、デバイスの備えている機能に制限が掛かるのは面白くないので、モバイルWi-Fiの環境を模索していたが、現時点では、高速インターネットのインフラそのものが未成熟だということに、やっと気がついた。
ドコモなんぞは、Android2.2から、テザリング機能を外して、相変わらず、ガラケー環境を死守しているのだから、未成熟なのも当然だ。

ここ最近、電子書籍関係の記事を目にすることが多くなってきた。
こちらも、まだまだインフラが整っていないので、どのような展開をしていくのか、わからないが、電子書籍に関しては、勝手な憶測も含めて、大いに期待している。

仕事資料なども電子化され、PDFでのやり取りが日常的になってきたが、それでも、やっぱり仕事関係の資料は、プリントアウトしてる。
数ページのメモ書き程度の資料ならば、iPadのアプリケーションで、ラインマーカー機能を使えば良いのだが、長文資料は、紙にしないと、自分の考えをまとめられない。

これは旧いとか新しいとかの問題ではなくて、慣れ親しんだ習慣であり、記憶だ。

写真の歴史は、一世紀ほどだから、デジタルへの移行も、そこそこ早く進んだけど、文字と紙の歴史は、それよりも、はるかに長いので、時間が掛かるだろう。

けど、音楽がネット配信でレコード屋が少なくなり、テレビとDVDで映画館が少なくなり、デジタルカメラで写真屋が少なくなったように、本屋も、今よりは、少なくなると思っている。

既に始めている文藝春秋社のユーザーインターフェイスは、なかなか使い勝手が良いし、新刊を紙書籍の半値で発表した村上龍の「歌うクジラ」なども意欲的(もちろん、小説の内容も含めて)に、感じた。
出版社だけではなく、紀伊國屋書店が、生き残りを掛けて始める Kinoppy(キノッピー)にも、大いに期待している。

ただし、デバイス間でのコピーは出来ないだろうから、貸し借りしたり、回し読みをしたりして、そこから育まれる人と人の関係性は変わってくるだろう。

メディア形態の変化は、確実に文化を変化させることにつながるわけだが、それが、どのような人間性を育むことになるのか・・・そんなことを妄想すると、ハヤカワSF文庫世代としては、ちと怖かったりもする。

そうそう。そしてなりよりも、教科書が電子書籍リーダー化された場合、教科書の端っこに、落書きをしたり、パラパラ漫画を書いたりすることができなくなることは、学校の勉強が大嫌いだった旧人類として、とても寂しく思ったりしている。
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Comments 2

time@">
time@  
Re: どーもー



ただ、変えることが出来る習慣と、そうでない習慣もあるし、上書きできる記憶と、上書き不可の記憶もあるわけで・・・それが個人差であり、個性という魅力だとも思っています。

長い返信になったんで、こっちに載せました(笑)

2010/11/26 (Fri) 19:58 | EDIT | time@さん">REPLY |   
yoppa  
うまいなぁ

これは旧いとか新しいとかの問題ではなくて、慣れ親しんだ習慣であり、記憶だ。


とても素敵な表現で納得です♪

2010/11/26 (Fri) 18:10 | EDIT | REPLY |   

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